常に「ティファナ・ファースト」という社長。
なぜ社長はティファナという会社を作ったのか、そこにどんな想いがあるのか、社長にお話しいただきました。
ブレない想い
私は神戸で生まれ、大学入学までは大阪で育ちました。
一人っ子だったこともあり、いつも家で一人でした。
親が厳しく大阪時代は楽しくなかった。
そんな人生を変えようと東京の大学に入学しました。
親からも離れることが出来るし、一人暮らしはきっと楽しいだろうなと思って武蔵小杉に住みました。
今みたいなオシャレなムサコ(?)ではなく、私の住んでいたアパートは四畳半、共同トイレ風呂なしでした。
大学でもなかなか友達ができず、夜、毎日近くの古い銭湯に行ってましたが、湯船に浸かってペンキが朽ちてはがれている天井を見上げるたびに、なんだか不安な将来を暗示しているようで寂しい気持ちになったことを覚えています。
「だめだ、こんなんじゃ、もっと、楽しく幸せに向かっていく考え方をしなきゃ!」
どうすれば現状を変えられるかいろいろ考えましたが分かりませんでした。
とりあえず、私は「自分が幸せになる」と決めて愚直に実行してみました。
すると、「他人は変えられないけど自分は変えられる」とはよく言ったもので、どんどん自信が付いていきました。友達もできて、バイトや音楽や楽しいことも増え、だんだん無敵状態になっていきました、イケイケ状態です(笑)
最後は「むしろ大学を卒業することの意味が分からん」とか偉そうに言って大学を中退して就職、頑張って一部上場企業の幹部になりました。
その頃、私はある部下と飲んでいるときに、
「俺はいずれ独立するから、そうなったらお前、俺の会社に来ないか?上場企業で営業とシステム部長の両方をやった人って、俺くらいしかいないだろ?数字作って回すなんてちょろいよ、俺って天下無敵だから!」
今考えるだけで恥ずかしくて逃げだしたくなるような言葉を、その当時の無知で馬鹿な自信過剰の私は酔った勢いで話していました。
その部下は「嬉しいです!もちろん行きます!!」と言ってくれました。
嬉しかった!
その後退職して中目黒の小さなマンションの一室で起業しました。
社長一人、社員一人。
その社員とは「もちろん行きます!!」と言ってくれた彼です。
それからいろいろあって今に至ります。その時の彼ですか?はい、今は取締役となり私を支えてくれています。
苦しい、寂しいと思っていた私が「幸せになる」と決めてから人生は大きく変わったと確信しています。
創業から考えると多くの人たちが辞めていきました。
しかたがありません、私は人間として未熟だったし不遜で自分のことしか考えなかったから当然です。
寂しい思いが続くのは嫌だと、自分の会社はとにかく明るく楽しいものにしたいと思ってやってきました。
途中で志も変わりました。
それは「社員を幸せにする」と決めたことでした。
社員のみんなと一緒になって人生ゲームのようにすべったり転んだりするこの仕事、人生が楽しくってしかたがなかった。会社を経営することってある種のリアルな経済ゲームのような側面があります、順風満帆には行きません。
楽しいこと苦しいことがいっぱい増えました。
泣いたり笑ったりも増えました。
でもそういった「喜怒哀楽」の感情があふれ出すこの仕事って面白い、好きな仲間と働くって楽しい!と思いました。
世の中は益々不透明で予測不可能な状況になっていきます。
ティファナは学歴や経験ではなく「人」で採用しているから、利他的な人や純粋な人が多い、だから、一般的な企業よりは泣いたり笑ったりが多いのだと思います。
そして、そんな組織であるティファナに集ってくれる人たちが、私は無条件に好きです。
以前は、社員と食事に行っても青臭い話をしたりしていましたが、今は彼らと会話しているだけで、ただただ楽しい。
屈託のない彼らの話を聞いたり、私の話を聞いて彼らがゲラゲラと大笑いしているのを見ることが、私は好きなのです。
このような世界が嫌いじゃなければ来ませんか?